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2024-11-06
#雑記

落下する世界


偶然の導きで音楽鑑賞に行きました。

ピアノ奏者と弦楽器奏者4人の5人が、オーストリア・ハンガリーの19世紀あたりのクラシック音楽を中心とした音楽を演奏してくれるという内容です。


僕は幼い頃にピアノを少しばかり嗜んでいたものの、クラシック音楽に関しては演奏技術もその音楽史的な知識に関しても、素人もいいところでして、それゆえにたくさんの発見がありました。

その道の方が聞けば鼻で笑われそうな話ですが、まず5人の演奏においては指揮者がいないということ、そしてチェロが後ろでビオラ・バイオリンが前という位置関係などなど、細かいポイントについて疑問が湧き、とても楽しい会でした。


その中でも特に面白いと感じたのは、演奏曲の1つの作曲家、バルトーク・ベーラさんの郷土音楽に対する想いです。

バルトークの生い立ちと民族意識


まず、バルトークは自分自身に対してハンガリー人という民族意識を持っていたというのが大変興味深い点です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%A9

彼の両親はと言うと、父はハンガリー出身、母はドイツ系です。そして彼が生きた時代は、2度の大戦によってヨーロッパの秩序が再構築され、生まれ地域の所属先国家が生涯のうちに変わっていくという大変動の時代です。

僕自身は、自分自身はもちろん、両親も日本生まれ、日本育ちであり、そして生まれてからこのかた、さらには生まれる100年以上前から、日本という統一国家が途中戦争による国家体制の大きな変動はあれど、変わらず存在していたという人間です。そのような身からすると、バルトークのような出自の人物が自分の民族的アイデンティティに対して、どういった意識を持つのか簡単には想像がつきません。

彼はハンガリー人としての民族意識を持っていたと述べましたが、彼の生まれ故郷であるナジセントミクローシュは、現在はルーマニアに属しているのです。

もちろん、現代においても、というかより移動が自由になった現代でこそ、生まれ育った地と自分の民族的アイデンティティが異なるということはよくあることなのかもしれません。

日本で日本人として生まれ育つとあまり意識しないことですが、民族というのは不思議な概念です。一般的には言語、宗教、文化をはじめとした生活様式を共有している緩やかなつながりということなのでしょうが、家族や親族というわけでもない仲間意識をたしかに僕自身も持っています。大谷翔平が活躍していると嬉しいと思う感情は、自分の民族的アイデンティティが日本人であることの証左なのでしょう。

会ったこともない他者に想像力を働かせる


そしてそのような感情は、誰から教えられるでもなく自然と湧いてくるように思います。これはすごいことで、会ったことも話したこともない人に対して親しみを感じられるというのは、人間の想像力の豊かさ、すなわち、報酬系が社会的つながりに対して作用することを表す現象だと思います。

報酬系と想像力が密接な関わりを持つことについては、最近偶然拝読した以下の記事が興味深いことを述べています。

カエルとオタマジャクシを比べてみてもわかると思うんですけど、カエルは手を近づけると「捕まえられる前に」逃げようとするのに対して、オタマジャクシは「捕まえられてから」逃げようとすることが分かります。(1)

まあ、表面的には大した違いではないわけですけれども、「脳の働き」という側面から見ると歴然とした違いなんですね。

「サシ」もオタマジャクシと同様で「予測する」ということができないように見えます。ハエは卵を餌の中に産み付け、生まれた幼虫はともかく食べる。そして進む。食べたものがおいしければ、また進む。ハエの幼虫は「イベント―報酬」の単純な回路で生命活動を営んでいると思いますが、成虫の方はプレ・イベントがある。すなわち「イベント―報酬」と「予測―イベント―報酬」の二段構えになっているのではないか。このことが外敵からの逃避行動によく現れていると思います。

https://blog.goo.ne.jp/chikushin/e/81c3cfb38351b2531e7a1d9a7cdefdfd
blog.goo.ne.jp

この記事では、より二次的な報酬系というのはいわば脳が繰り返しトレーニングを積むことによって獲得できるものであることが述べられています。

テレビやスマホなどの動画メディアが発達した今だからこそ、私たちの脳が他者を想像する能力が刺激されやすくなっていて、会ったことのない他者のことを想像して、その他者に対して感情を抱くということが、多くの人にとって普通のことになっているのかもしれません。

1,000年前のような、手紙ですら読み書きができて紙や筆という高価な情報伝達手段にアクセスできる限られた上流階級だけしか書けない時代においては、そのようなまだ見ぬ他者に想像力を働かせ、共感する機会というのは、非常に限られていたのではないでしょうか。

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熱帯雨林気候で暮らす人々は、彼ら彼女らが暮らす場所の気候的、空間的な特性 = 昼夜問わず暗い環境で、年中同じ気候が続く環境と、常に見通しがつきにくい視界の悪さから、日ごと季節ごとに循環する時間、そして過去現在未来という、今目の前に起こること以外の時間という概念を持たないという説があります。

わたしたちが会ったこともない他者に想いを馳せるという行動も、昔のように一部の人にしか情報伝達手段が開かれておらず、かつその手段も文字という映像とは比較にならないほどに想像力を要するものであった時代から技術が発展して、映像という誰もが直説的にイメージを働かせやすい情報伝達手段ができた今だからこそ、一般化したことなのかもしれません。

そう考えると、技術と思想というのは相互作用的に、そして遺伝子という生物学的な枠組みを超えて、人類を進化させてきたように思います。


郷土音楽の記録を残そうとするほどに郷土音楽が失われる


今回の演奏会のテーマであった音楽家バルトークも、技術の発展によって強く影響を受けた人物でした。バルトークは、自らの出自と捉えるハンガリーの郷土音楽が、技術の発展によって変わりゆく社会の動きによって失われる危機感から、郷土音楽の要素を取り入れた楽曲の作曲に取り組んだのです。

押し寄せるグローバル化の波

鉄道の発展によって人々の移動コストが劇的に低下し、文化の伝達速度が比べ物にならないほど上がっていったこの時代には、その地域のローカルな文化と他地域から流入した異なる文化が相互に混じり合い、ローカルな文化が失われていきました。

それは古代インドで、仏像がギリシャ彫刻を作っていた人々に作られたと言われているように、ときには異文化同士の出会いが新しい芸術分野を生み、ときにはもとの文化を上書きして破壊するというように、創造と破壊の両方を伴っていたのでしょう。

昭和期の日本やヨーロッパで、マクドナルドやハリウッド映画に代表されるようなアメリカ文化の急速な流入が、全てを上書きしていくアメリカナイゼーションと呼ばれたのに先行して、グローバル化の波が初めて市井の人々が実感できるほどに急速にヨーロッパに押し寄せたのが、この時代だったのかもしれません。陸続きでたくさんの文化が狭い地域に詰め込まれていたヨーロッパでは、鉄道による地域間移動のコスト低下がもたらす文化の混合効果が、日本のような島国と比較して強く働く環境だったのでしょう。

世界初の仏像はギリシャ風だった:ガンダーラの仏教美術について
当サイトで何度も取り上げてきたテーマなので、そろそろ体系的な説明をする記事を書いておこうと思った。ガンダーラという古代インド文化圏だった地域からは、ギリシャ人のように彫りが深かったりギリシャ文化の要素を持つスタイルの仏像が数多く発見されてい
art.japanesewriterinuk.com

急速に失われる郷土音楽をなんとか守りたいと考えたバルトークは、自らの作曲という才能をそのために使おうと考えたのです。

世界は落下している

バルトークの想いとは裏腹に、というよりも、ある目的を達成するために取る行動が、実はより大きな構造として見たときにはむしろその目的の達成と反対方向の効果を生むという意味で、ぼくはバルトークの行動は矛盾を孕んでいるように思うのです。


クラシック音楽の発展は、活版印刷技術と切っても切り離せないものです。楽譜という音楽の再現性のために不可欠な道具が、正確かつ大量に複製可能なものでなければ、ある作曲家が作った楽曲がこれほどまでにたくさんの人に演奏され続けることはなかったし、協奏曲のようなたくさんの人が演奏に参加する楽曲も生まれなかったでしょう。クラシック音楽と呼ばれる分野が1550年頃からの音楽を指すのは、偶然ではありません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD

バルトークも自身の音楽を楽譜に起こしたからこそ、彼の音楽が今も演奏され続けることになりました。しかしその行動というのは、彼の郷土音楽を残したいという気持ちを形にすることにたしかにつながった一方で、逆説的に異なる文化同士の混ざり合いをむしろ促進する行動でもあったのです。


わたしたちが今アメリカで昨日発表された音楽を今日聴けるのは、インターネットと録音、記録技術のおかげであり、もはや音楽鑑賞において生演奏を聴けないということを除いては、物理的な距離は障壁になりません。


バルトークも、その作曲と録音という行動を通して、郷土音楽を残すという目的を短期的に達成すると同時に、別の視点から見ると、その録音という行動こそが他の文化圏に自身の郷土音楽を持ち込み、その文化圏の音楽を失わせることに加担しているとも言えるはずです。

作曲と録音によって、自分の音楽を楽譜や録音記録という容易に移転可能なものとする行為が、そのような文化の混ざり合いを助けることであり、それこそがその地域の純粋なローカル文化を失わせることにつながるからです。

バルトークがそのことに自覚的であったかは分かりませんが、彼自身がなんとか抗いたいと考えていた郷土音楽が失われていく流れを、大きな構造として彼自身が助長していたように僕は思うのです。


時代の流れにはどんな個人、組織も抗うことはできず、一見するとそれに抵抗するような行動すらも、その流れに与するものになるということなのでしょう。

世界は落下しているという言葉を思い出した音楽会でした。


https://sudoken.hatenablog.com/entry/2014/03/22/165919