なぜ目先に囚われない人だけが、最後に勝っているのか
“直感を否定される”経験こそ、遠回りに見えて大きな武器になる
世の中を眺めていると、「数学や古典を学んだところで何の役に立つのか」という声をたびたび耳にします。短期的に見れば、たしかにそうかもしれません。すぐにビジネスの成果につながるわけでもなく、履歴書にもピンと来る資格名が載るわけでもない。
しかし、僕はむしろ「だからこそ、学ぶ意味があるのではないか」と考えています。と言うのも、短期的に役立たないからといって、その価値がゼロになるわけではないからです。
直感に頼りきっていないか?
人間の直感は、本来とても便利なものです。日常の大半の判断は、直感のおかげでスムーズに進みます。ただし、この“瞬発力”が裏目に出ることもあるのはご承知のとおりです。
とりわけ、新しい視点や自分に不利なデータが提示されたとき、直感は案外あっさりと「見て見ぬふり」をしてしまいます。数学や物理などの基礎教養が“厳密性”という名のメスで私たちの思い込みを切り刻むのは、ある種痛快ですらあります。
たとえば
- 車を運転しているときは自転車が邪魔に見え、自転車に乗ると車が粗暴に感じる
- 利益がすぐに出ない学問を「無駄」と捉えてしまう
どちらも、視点を変えればまったく違った見え方になるのに、直感は往々にして「自分側の都合」しか見てくれないのです。基礎教養と向き合っていると、こうした“自分の直感が間違う瞬間”を幾度となく味わうことになり、そのたびに目が覚めます。
「頭が悪い」と言われてムッとするのはなぜ?
私たちは知的能力を指摘されると、どうしても感情が先に動きがちです。実際、身体能力を指摘されるよりも、よほど心がざわつきませんか?
しかし、思い返してみれば、勉強というのは「知らなかったものを知る」プロセスにほかなりません。理解できていない状態は当たり前で、そこから一歩ずつ身につけていくのが本来の学習です。ところが、知性に関しては「できていて当然」という思い込みが強いため、少しでも苦手な分野があると傷つき、学ぶ意欲を失ってしまう方もいます。
基礎教養が良いのは、この“自分がわかっていないかもしれない”感覚を常に与えてくれる点にあります。自尊心を保ったまま学び続けるには、「間違いを許容し、積極的に直していく」姿勢が欠かせません。
短期と長期、どちらの利益を目指すのか?
スタートアップの世界では、しばしば「ストックオプション」や「先行投資」など、短期的にはキャッシュを生まない(むしろ持ち出しが多い)取り組みを積極的に推進します。にもかかわらず、基礎教養になると「そんなもの勉強しても仕方がない」と敬遠されるのは不思議な話です。
なぜなら、短期的に役立たないからこそ、ほとんどの方がその領域に踏み込まないわけで、そこには逆説的に大きな隙間が生まれます。短期視点しか持たない方たちの間隙を縫って、長期目線で備えた人が驚くほど有利になるのは、ビジネスの世界でもよく見る光景です。
基礎教養がもたらす“直感ブレイカー”としての効能
1.
僕たちは何かにつけて「いや、私の直感は合っている」と思いがちなものですが、数学や物理に立ち向かっていると、あっさり“答えは違っていた”と突きつけられます。「なるほど、私の感覚は完全ではないのだ」という気づきが、他分野のチャレンジでも役立ちます。
2.
数学も歴史も、古今東西の天才たちが積み上げてきた発見の集積です。それに触れると、いつしか「自分だけの経験を当てにするより、使えるものは使ったほうが得だな」と実感するようになります。現実世界においても、優れた先例に学び、不要な失敗を避ける知恵が身につきやすくなるのです。
最終的に、遠回りが一番早い近道
多くの方は「すぐに成果の出るもの」を好みますし、それ自体を否定するつもりはありません。ただ、短期的なメリットばかりを追いかけているうちに、いつのまにか大きな勝ち筋を見落としている――そんなケースはあまりにも多いように思います。
その点、基礎教養の世界は、まさに“遠回りの王道”です。収益や実利に直結しないテーマをしっかりと理解しようとするほど、論理的思考や客観性が鍛えられ、むしろ遠い将来に大きく跳ね返ってくる可能性があります。
他の方が避けて通る領域だからこそ、チャンスが隠れている。
それはまるで、急斜面にあえて挑み、その先の景色を一人占めするような快感にも似ています
「基礎教養なんて、今さら学んでも仕方ない」ということなら、もちろんそれで構わないと思います。しかし、もし長期的な成長や大きな成功に興味を持っているのなら、直感を否定される経験を積むことは、むしろ強力な“武器”になるというのが僕の意見です。
すぐには儲からないかもしれませんし、周囲から「遠回りでは?」といわれるかもしれません。けれど、まさにその“無駄に見える道”が、大勢を出し抜く手段となるのです。