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2025-02-02
#雑記

ブルシットジョブが増え続ける理由


なぜそんな仕事をしているのか、自分でも分からないし、他人にも評価されない。そんな仕事のことをブルシットジョブと呼ぶ。

デヴィッド・グレーバーによる2018年の著書、「ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論」ではそのような仕事がなぜ発生し、その発生をなぜ止められないかが解説された。

そして今、僕はその人本人が良い仕事、善行であると信じてやまない仕事についても、「拡張されたブルシットジョブ」と呼ぶべきものが存在するのではないかと考えている。


拡張されたブルシットジョブの特徴


本来は解消すべき問題を放置したまま、あえてそれに対症療法的に対処する仕事を生み出す方が、評価されやすいという構造がある。

そういった仕事は直接的には貢献や善行に見え、当人は「価値がある」と信じて疑わない。しかし、問題の根源に介入しようとせず、あくまで対症療法的な行為で満足してしまうため、いつまでも同じ課題が繰り返される。

典型的なのは「川下でゴミを拾い続ける」ような行為だ。川上でゴミを流出させない仕組みづくりに取り組めば、そもそも拾う必要さえなくなるかもしれない。それでも川下での活動に集中し続けるのは、目に見える達成感が大きく、周囲からも「良いことをしている」と評価されやすいからだ。

こういった姿勢が蔓延る原因には、最初から川上でゴミを流さないようにできる人の成果は、可視化されにくいということもあるだろう。

やりがいと称賛に溺れるリスク

人は自分の行為を「良いこと」「誰かの役に立つこと」と認識すると、そこから得られる快感ややりがいを優先しがちになる。さらに周囲から称賛を受ければ、その仕事を続けるインセンティブは高まっていく。

ただ、そこで見落とされがちなのが「そもそも、その仕事がなくなる状態を目指す努力はしているか」という問いだ。

ゴミ拾いで言えば、ゴミが生まれないようにする方が社会全体には大きなメリットがあるにもかかわらず、あえてそこに踏み込まない。拡張されたブルシットジョブは、そうした構造的なアプローチを先送りにしたまま、自己満足や周囲からの評価によって維持されてしまう。



ホワイトワーカーにおける拡張されたブルシットジョブの事例


ここまでの例では、「ゴミを拾う」という行為を元に考えてきたが、典型的なホワイトワーカーにも拡張されたブルシットジョブのような振る舞いはありがちである。

終わりの見えない会議運営

「会議を回す」という行為に強い使命感を持ち、ひたすら議事録を作成し、出席者のスケジュール調整をし、会議を円滑に進めることに注力する。ところが、その会議自体が実質的な意思決定や改善策につながらず、同じような内容が繰り返されるだけの状態が続く。

本人は「組織の円滑化に役立っている」と信じているが、根本の問題は議題の曖昧さや責任分担の不明確さだったりする場合が多い。結局、誰も本気で「不要な会議を減らす」策に取り組まず、会議の運営だけが延々と続いていく。


形だけの改善プロジェクト

業務改善や業績向上を目的として、やたらと“プロジェクト”が立ち上がる。ホワイトワーカーはその企画書やプレゼン資料作りに時間を費やし、進捗会議で報告を重ねる。しかし実態は、根本的なシステムや体制の問題には手をつけず、導入した新ツールの使い方を“研修”として教えるだけで終わるケースが多い。周囲から「頑張ってるね」とは言われるものの、本当に必要な変革はいつまでも先送りになり、プロジェクトが終わっても同じ課題が繰り返される。


重箱の隅をつつく資料づくり

提案書やレポートを何度も修正し、“完璧”を目指して徹底的に装飾や文面の微調整を行う。本来は情報の正確さや意思決定に必要な要点が押さえられていれば十分だが、社内外の承認を得るために必要以上の紙幅を割き、見た目や形式に注力しすぎる。

成果に対して直接的な影響を生まない部分で労力を消費し、当人も「より良いアウトプットを出したい」との思いで突き進むが、根本的には意思決定プロセスの無駄や、承認フローの複雑さにメスを入れないまま時間と手間をかけてしまう。


無意味に積み重なるレポートと報告

売上や顧客数、各種KPIなどをまとめる定例レポートの作成に、毎日あるいは毎週かなりの時間を割く。そのレポートは上層部や関連部署に共有されるものの、実際には誰も詳しく見ない、あるいはフォーマットだけ整えて数値を追記しているだけのことも多い。それでも「データを集めて報告することが重要だ」という認識が根強く、当人も「必要な仕事」として積極的に作業を続ける。報告フォーマットや共有の仕組み自体を見直せば大幅に効率化できる可能性があるのに、見た目やルール重視で惰性で回り続けるパターンも典型である。


善意を力に変えるには

こうしたホワイトワーカーの拡張されたブルシットジョブは、やっている本人も周囲から見ても「貢献度が高い」と思われがちだ。だからこそ、いつまでも問題の根幹に踏み込まずに、対症療法や形式的な改善策を繰り返してしまう。

本当にやるべきなのは、その仕事そのものが不要になるための仕組みや仕掛けを構築すること。それには一見地味で忍耐が必要だが、長期的には業務の重複や時間の浪費を減らし、組織全体の質を底上げする効果がある。

目の前のやりがいに流されず、川上にある原因や構造に着目する意識を忘れないこと。それが拡張されたブルシットジョブの連鎖を断ち切る鍵になる。


拡張されたブルシットジョブが生まれる原因


拡張されたブルシットジョブを生み出す根本原因:幻想と官僚主義の罠

拡張されたブルシットジョブを根底から支えているのは、「成熟した組織では、常に安全安心な取引が担保される」という幻想、そして「やった」という実績づくりのための仕事を増やしがちな官僚主義的な発想、さらには「上層部や上層部に認められたすごい人は決して間違わない」という無謬性の神話。この三つの要素が絡み合うことで、本来取り組むべき問題の根っこを見ずに形式や報告に追われる状況が作り出される。


幻想1:安全安心な取引が常に担保されている

成熟した組織で活動していると、制度やルール、組織内サービスが整備されていることから、あらゆるリスクはコントロールされていると思い込みやすい。何かトラブルや不正が起きても、すぐにその組織の高位の運営者が対処してくれるはずだという“安全神話”が根強い。

しかし実際には、システムの隙間や権限の境界など、誰も責任を取らないグレーゾーンが無数に存在する。大きな問題が起きるたびに、形式的なチェック機能を強化しようとするが、それも本質的な改善にはなりにくい。ここで生まれるのが「チェックリストを作成し、形式を整える」という仕事。目に見える対策を実行しているというポーズだけを示し、根本の原因究明や改革への意欲は後回しになりがちだ。


幻想2:「やった」というための仕事に追われる官僚主義

問題が顕在化すると、「何もしていないわけではない」という証拠づくりのために仕事を量産する動きが始まる。過剰な書類作成、会議や報告書の連打、意味のない承認プロセスの増設──これらはすべて、最終的に「万全な対応を取った」という名目を得るための道具でしかない。

当事者は「自分は責務を果たしている」「指示されたことをしっかりやっている」という満足感が得られるため、そこから抜け出しづらい。周囲も書類やレポートという“成果物”が積み上がっているのを見て、「ちゃんと仕事をしている」と評価する。こうして誰もが問題の解決ではなく、“やっている事実”の量産に向かってしまう。


幻想3:上層部の無謬性という神話

大きな組織では、方針や計画の誤りを認めることが避けられる。上層部が一度打ち出した方針を疑うことは、組織全体の統治構造を揺るがすリスクになるからだ。「偉い人が決めたことだから」「過去のやり方に沿っているから」という理由だけで、間違っている可能性を検証しようとしない。

その結果、本来は方針転換や構造の見直しによってゴミの“発生源”を止められたとしても、指示を守るために川下でゴミを拾い続けるしかなくなる。方針に対する異議はタブー視されるため、誰も代替案を出そうとしないし、出したとしても「反抗的」「非協力的」と見なされる。そうやって生まれるのが、無謬性の神話に守られた“不要な仕事”だ。


合わさる幻想がもたらす拡張的な無意味

これら三つの幻想が合わさると、問題が起きたときに真の改善策を探るより先に、「形式的に動いた」「指示されたことはやった」という結果を積み上げることに注力する空気が組織を覆う。実際には見かけだけの対応で長期的な問題は残り続けるのに、そこに手を付けようとする意志も時間もなくなる。

こうした状況が持続すると、当人たちは「忙しく働いている」「善意で対処している」と感じながら、社会の問題を先送りし続ける構造が固定化される。やりがいに満ちた作業の皮をかぶったまま、肝心の川上対策は後回し──これこそが、拡張されたブルシットジョブを生み出す最大の罠だ。


拡張されたブルシットジョブを生み出さないために


拡張されたブルシットジョブの根幹には、「安全安心な取引が担保される」という幻想と官僚主義的な思考、そして上層部が常に正しいとする無謬性の神話がある。それらが合わさることで、本来取り組むべき課題の根本解決を後回しにし、「やった」という形式的な実績だけを積み上げる作業が横行してしまう。では、これを回避するにはどうすればいいのか。


1. 幻想を疑う

まず、成熟した組織であろうとリスクや問題がゼロになるわけではないという事実を常に意識する。安全や安心がすでに保証されているという思い込みは捨て、何かトラブルや不正が起きたときに、根本原因に遡って考えられる柔軟性を持つ。システムや仕組みそのものを検証し、いざというときに「誰が何を担うのか」を明確化する姿勢が重要になる。


2. 官僚主義に飲み込まれない

「やったというための仕事」を作るだけではなく、その行為によって何がどう変わるのかを問い続ける。会議や書類作成が本当に必要か、本質的な成果につながっているかを定期的に振り返る。形式だけの対応や報告体制、過剰な承認フローを見直し、必要最小限のプロセスに絞ることで、根本的な解決策を考えるための時間とリソースを確保する。


3. 無謬性の神話を崩す

上層部が間違うことはあり得る。方針そのものが正しいかどうか、常に検証する視点を組織として持つ。指示や計画に疑問を感じたときに声を上げられる仕組みを整え、異なる視点を出せるカルチャーを育む。上からの命令に対して疑問を呈し、適切な方法・経路でそれを伝えることは“反抗”ではなく、より良い成果を出すための建設的な行為であるという認識を共有したい。

ただし、これは現実にやろうとする場合には、非常に慎重かつ伝え方を適切に考えなければならないことは、言うまでも無い。


4. 本質に踏み込む勇気を持つ

川下での対症療法に注力するのではなく、川上の原因にこそ関心を向ける。今回取り上げたような、表面的には善意や貢献が強調される仕事こそ、“なぜそれが必要なのか”を改めて問い直す。根本的な解決策を模索する中で、既存の仕組みと矛盾が生じたり、多くの調整が必要になったりするかもしれない。しかし、その過程を経てこそ、問題の再生産を止め、本当に価値ある仕事だけを残すことができる。


5. 結局、拡張されたブルシットジョブとはなんなのか

結局のところ、「拡張されたブルシットジョブ」というのは、ブルシットジョブ、すなわち、「なぜそんな仕事をしているのか、自分でも分からないし、他人にも評価されない」ような仕事について、それをやっている人物が、自分で考えることををやめてしまった結果生まれるものと言えるだろう。

これは、自身がやっていることと、社会的正義とを一致させたいという人間の本能から生まれる、「自分がやっている仕事が意味がないはずがない」という、認知的不協和の解消とも言えるかもしれない。

組織の統治構造を考えると、上層部で決めたことに対しては、あくまでも実行に集中するというのが、あるべき姿ではある。しかし、すでになされた決定に対して、全体の意思を無視して反対をするのではなく、あくまでも提案として適切な伝え方をすることで、より良い姿に導くことは誰にでもできるはずだ。

別の言い方をすると、拡張されたブルシットジョブは、本人からすれば「社会や組織にきっと役立っている」と確信しているが、客観的に見れば問題の根本解決を先送りしているだけ、という状態を指す。この「客観」と「主観」の乖離は、組織内で暗黙のうちに共有されている価値観や評価指標に起因するケースが多い。たとえば、評価面談では「常に忙しく働いている」「たくさん会議を主催している」「大量のドキュメントを作成している」といった“見える”指標が高く評価されやすい。逆に、「本当に必要な仕事かどうか」「当初の方針が誤りではないか」といった問いを立てることは、どこか“空気を読まない”行為だと受け取られ、組織の歯車としては不適切に見なされがちである。

このように、周囲の価値観によって「表面的な成果物」を積み上げる行為がもてはやされると、当人が目指すべき本質的なゴールがどこにあるかを真剣に検証する機会が失われがちになる。自分の仕事の意味を問い直そうにも、「でも実際、上司からも評価されているし」「みんなから『頑張っているね』と言われるし」という心理的ハードルが生じるのだ。その結果、「こんなに必死でやっているのに、まさか意味がないわけがない」という認知的不協和の解消が進み、現状を肯定し続ける方向へ思考が固まっていく。

ところが、表面だけ追う働き方が習慣化していくと、ある時点で「何かを成し遂げたはずなのに、達成感がまるでない」「忙しく立ち回っているのに、なぜか問題が減っていない」という虚無感に襲われることがある。特に、「いつの間にか同じ課題が再燃している」「新しいトラブルが起きたはずなのに、また同じやり方で対処しようとしている」など、振り返ってみると何一つ本質的には変わっていない──そんな現実に気づいたときに、初めて「拡張されたブルシットジョブ」を疑問視するチャンスがやってくる。

この「疑問を持つ」瞬間こそが、拡張されたブルシットジョブを抜け出す第一歩だろう。それは、組織の方針に反旗を翻すとか、周囲を否定するという話ではない。あくまで「本当にこれで目的は達成されるのか?」「この仕事が消滅する未来こそが理想ではないか?」と自分自身に問いかけてみることから始まる。小さな違和感を言葉にしてみるだけでも、同様の悩みを抱えながら表立って言えずにいる仲間の存在に気づくきっかけになる。声を上げることで組織や上層部を根本から動かすのはたしかに簡単ではないが、その一歩がなければ、いつまで経っても川下対策ばかりの状態から抜け出せないのも事実である。

最終的には、「いま自分がしている仕事がなくなる状態」を理想だと考えられるほど、問題の根源(川上)へアプローチする姿勢が重要になる。組織人であれば、ゴミの“発生源”に触れることはときに危険を伴うし、周囲との軋轢も生むかもしれない。しかし、「拡張されたブルシットジョブ」を維持し続けること自体が、問題を永遠に先送りするリスクを高めているとも言えるだろう。自分の仕事に誇りを持つために必要なのは、忙しさや評価、周囲の称賛を糧にすることではなく、「結局、その仕事が社会や組織をどの方向に導くか」を問いかける真摯な姿勢である──拡張されたブルシットジョブから抜け出す上で、この点は何度も振り返る価値があるはずだ。


6. 善意とパフォーマンスを切り分けて考える重要性

拡張されたブルシットジョブの厄介な点の一つは、当事者が「善意でやっている」という点にある。そもそも「人の役に立ちたい」「組織に貢献したい」という気持ちは、本質的に良いものであるはずだ。しかし、だからといって、その行為が実際に組織のパフォーマンス向上や問題の根本解決に繋がっているとは限らない。

善意とは、「こうすれば誰かの役に立つだろう」という前提に基づいて行動を起こすことである。一方、組織のパフォーマンスとは、売上や利用者数の増加、品質向上、あるいは社会的インパクトの拡大といった、客観的な指標や成果で測られることが多い。個人の視点では「良いことをしている」という感覚がある一方、組織全体から見れば「別の方法の方が遥かに有効だった」「むしろ無駄な会議が増えて疲弊を招いている」などの乖離が起きる可能性がある。

こうした善意とパフォーマンスのギャップは、なまじ善意ゆえに見過ごされやすい。周囲も「頑張っているのに、それを否定するのは気が引ける」「忙しそうだし、とりあえず評価してあげたい」という心理を抱きがちだ。しかし、善意に支えられた行為であっても、実際の成果やインパクトを測定しなければ、組織として本当に必要な施策からズレてしまいかねない。

善意とパフォーマンスを切り分けて考える姿勢とは、「自分が信じている“良いこと”が、どのように組織の目標や実際の成果に結びついているのか」を冷静に検証することだ。もし検証の結果、「やりがいや称賛は得られるが、根本的な課題は解決していない」という結論が導かれたならば、やり方を再考する必要がある。川上に遡って問題の構造にメスを入れ、根本解決につながるアプローチを模索するのは、善意を“本当の力”に変えていくためにも不可欠である。

善意のモチベーションそのものを否定する必要はない。しかし、善意がもたらす“やっている感”や“称賛”によって、真に取り組むべき課題が隠れていないか──拡張されたブルシットジョブを回避するためには、常にこの視点を持ち、自分の行為を点検し続ける姿勢が求められる。


まとめ


ブルシットジョブという概念は、「社会的にも、当人にとっても意味がない仕事」を指すとされてきた。しかし、本人が善意ややりがいをもって取り組んでいて、かつ周囲からも一見評価されているのに、実際には問題を根本解決せず先送りするだけの仕事も存在する。それがここで言う「拡張されたブルシットジョブ」である。

こうした仕事は、川上での原因究明をせず、川下での対応だけに注力してしまうことでいつまでたっても問題を解消しない。ホワイトワーカーにありがちな「会議や報告、プロジェクトの形骸化」といった例を見ると、“やっている感”だけが積み上がり、根本の仕組みや方針には手を付けないまま、時間と労力が浪費されていく構図が見えてくる。

その背景には、「成熟した組織だから安心だ」という幻想、「やったという既成事実を示すことが重要」という官僚主義、「上層部は常に正しい」という無謬性の神話が横たわっている。これらが合わさると、建設的な疑問や改革への意欲を奪い、形式的な仕事だけが増殖する。そして、本人たちも忙しく働いているという手応えを得ているため、なかなかその連鎖を断ち切ることができない。

拡張されたブルシットジョブを生み出さないためには、「幻想を疑う」「官僚主義の流れに身を委ねない」「無謬性の神話を崩す」という三つの視点が欠かせない。そして何より、川下の対症療法に留まるのではなく、川上の原因や仕組みにこそ手を入れる意志と勇気を持つことが大切になる。長期的な視野で、本当に必要な仕事だけを残し、不要な仕事が存在しなくても成り立つ仕組みを追求する。そこに向かって一歩踏み出すことで、拡張されたブルシットジョブの蔓延を防ぎ、組織や社会全体がより健全な形へとシフトしていくはずだ。