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2025-04-12
#AI#雑記

"AI で不要になる仕事"論の結論

AIおよびその周辺の情報保存・連携インターフェースの発展によって、この仕事はなくなる/なくならないという議論が話題になることが増えた。

この議論には、議論のスコープとして既存の社会的枠組みの延長線上の未来を考えるか、それ自体が変わっていった先の未来まで考えるかという2つのスコープが存在する。

すなわち、

  • 今の米国を中心とする資本主義的な枠組みの内側でうまくやっていける職業が何かを考えること
  • そのような枠組み自体が、AIという知的生産活動において人類を超越する主体の存在によって近いうちになくなっていくと考え、その後の未来も含めて考えたときに、どういった性質を持つ人が生きやすいかを考えること

の2つである。

両者では課題設定の時間軸が異なるが、どちらのスコープで考えるにしても、この議論に関する僕が考える結論は、「"情熱を持って時間とリソースを何かに注ぎ込んでいる人"は、AIで世の中がどう変わろうと、必ず誰かがそれに共感してくれて、楽しく生きていけるだろう」というものだ。

AIで不要になる仕事

システマティックな知識と明確な方法論によって成り立つ仕事は、いずれAIによって代替されることになる。これは単なる予測ではなく、現在の技術発展の延長線上に確実に訪れる未来だ。

従来、技術の発展によって人間の仕事は減るどころか、むしろ増えてきた。洗濯機や自動車、コンピューターなど、単体のタスク遂行能力で人間を上回る機械を「補助的な役割」として活用し、人間はより高度な思考や判断を要する領域に移行してきたからである。

これは、経済学的な言葉で言うならば、人間が単位時間あたりで出せる付加価値が、技術によって上がり続けてきたことと言える。

しかし、人間の能力を総合的に超えるAIの登場により、この構造は根本から変わる。AIは単なる「部分的なタスクの効率化」ではなく、人間が取り組むあらゆる課題を包括的に解決できるようになるからだ。つまり、人間がいなくても、むしろ人間がいない方が、高い付加価値を出せる状態になるということだ。

最初に消える仕事

まず最初に消えていくのは、明確なルールやパターンに基づく業務である。

  1. データ分析・処理業務: 統計解析、レポート作成、データマイニングなど
  2. 基本的な文書作成: 定型文書、報告書、基本的なコンテンツ制作
  3. プログラミング: 特に定型的なコーディング作業
  4. 会計・経理: 数値処理、帳簿管理、財務分析
  5. 基礎的な法務業務: 契約書チェック、基本的な法的文書作成
  6. 翻訳・通訳: 一般的な文章の言語間変換
  7. カスタマーサポート: FAQ対応やマニュアルベースの問い合わせ処理

これらの仕事は全て、明確なルールと体系的な知識に基づいており、大量のデータから学習したAIが最も得意とする領域だ。

ただし、これらの職業においても「何を目指すべきか」というゴール設定や「どのような状態が理想か」を定義するメタ的な仕事、また曖昧性に対するリスクテイクを要する仕事はしばらくの間、残り続けるということは補足しておこう。AIはデータと既存の枠組みの中で最適解を導き出すことができるが、そもそも「何のために」「何を目指して」という根本的な方向性の設定は、人間の価値観や社会的合意に基づく判断に依存する。これは単なるタスクの実行とは質的に異なる、人間特有の思考領域である。

次の段階で変容する仕事

より高度な思考を要すると思われてきた以下の職種も、AIの進化により大きく変容する。

  1. 医療診断: 症状と検査結果から診断を行う医師の役割
  2. 投資分析・アドバイザリー: 市場分析と投資判断
  3. 教育・指導: 基礎的な知識の伝達や指導
  4. 研究開発: 特に既存知識の組み合わせによる開発
  5. 中間管理職: 情報の整理と伝達、基本的な意思決定

これらは「専門的」と思われがちだが、実はシステマティックな知識体系に基づく判断が大部分を占めている。AIはこうした体系的知識を網羅的に学習し、人間よりも正確かつ迅速に適用できるようになるのだ。

本質的な変化:量から質へ

技術の発展が人間の仕事を増やしてきた従来の構造は、以下の記事で述べた通り、「仕事を効率化するほど仕事が増える」というパラドックスを生み出してきた。しかし、AI・ロボット技術が人間の総合的能力を超えた段階では、この構造そのものが変化する。

やがて「人間が仕事をする」こと自体が非効率と見なされる時代が来るだろう。これは現代の道路で馬車を走らせるようなもので、かえって全体の生産性を下げてしまう状況になるのである。

しばらく残る人間の領域

消えない、あるいは最後まで人間の手に残る可能性が高い領域は以下の通りだ:

  1. 創造性と芸術: 真に独創的な表現や芸術創造
  2. 人間関係の構築: 深い共感や信頼関係を必要とする役割
  3. 哲学的・倫理的判断: 価値観に基づく重要な意思決定
  4. 身体的な親密さを伴うケア: 人間同士の温もりが求められる領域

しかし、これらの領域でさえ、AIが人間を「サポート」する形での関与は避けられない。

一見するとここで書いたような「人間の感情を扱う分野は残り続ける」と思われがちだが、これも幻想に過ぎない可能性がある。人間の感情や心理プロセスもまた、十分に発達した超知能的AIによってシステマティックに分析・モデル化できるようになるだろう。私たちは自分の主観的な感情体験を「測定不能な神秘的なもの」と考えたがるが、それは単に現在の科学の限界に過ぎない。

感情が生じるメカニズムは、生理的反応、脳内の神経回路パターン、過去の記憶との連想、社会的文脈の認識といった要素の複雑な組み合わせとして理解できる。現在でもfMRIなどの技術を用いて「怒り」や「悲しみ」といった基本感情に対応する脳活動パターンの識別が進んでいる。超知能AIはこうした感情生成の原理をより精緻に理解し、人間よりも正確に感情反応を予測・再現できるようになる可能性がある。

すでに感情認識AIや自然言語処理の発展により、テキストから感情を読み取ったり、適切な感情表現で応答したりするシステムは日々進化している。「共感」という行為も、相手の状態を精密に観察し、適切な反応パターンを選択するという情報処理の一種と捉えれば、AIによる再現は十分に可能だ。

究極的には、人間が「AIには理解できない」と考える感情の機微も、適切なデータセットと計算能力があれば解読・模倣可能な情報となる。私たちが「AIには不可能」と思い込んでいる領域は、単に「まだAIが到達していない」一時的な状態に過ぎないのだ。

さらに注目すべきは、「十分なデータセットがない」という制約も、今後のAI発展によって克服される可能性が高いということだ。AlphaGoの例を考えてみよう。DeepMindのAIは最初に人間の対局データから学習したが、その後「AlphaGo Zero」として自己対戦を繰り返すことで、人間の知識に依存せず独自のデータセットを生成し、わずか数日で人間のトッププレイヤーを遥かに凌駕する強さに到達した。

同様に、感情理解のAIも、最初は限られた人間のデータから学習を始めるかもしれないが、やがて自己学習と仮想的なシミュレーションによって独自の「感情理解モデル」を構築していくだろう。つまり、「データがない」という問題は、AIが自ら解決できる一時的な障壁に過ぎないのだ。この自己強化学習のメカニズムによって、AIの感情理解能力は私たちの想像をはるかに超えるスピードで発展する可能性がある。

しかも、AIは人間の感情を「理解」するだけでなく、人間よりも深く洞察する可能性すらある。私たちは自己の感情を完全に理解しているわけではなく、無意識の偏見や認知的盲点に影響されている。一方、十分に発達したAIは膨大なデータから人間行動のパターンを分析し、私たち自身が気づいていない感情の動きを見抜くかもしれない。

新しい生き方の模索

ここまで述べてきたように、システマティックな知識に基づく業務だけでなく、人間の感情理解や共感を必要とする「感情労働」も含め、あらゆる種類の仕事がAIによって代替される可能性が高いというのが僕の意見だ。究極的には、「人間にしかできない仕事」という概念自体が消滅するかもしれないのだ。

働くことが存在意義の証明にならない時代が迫っている。これまで人間は「仕事」という形で他者貢献感や存在意義を得てきたが、AI時代には自分の役割や生きがいを「仕事」以外で見いださなければならなくなるだろう。

それは単に「働く必要がなくなる」という話ではなく、「社会の中でどう必要とされ、どう自分らしさを発揮していくのか」という根源的な問いへの挑戦だ。宗教やコミュニティ活動、アートや表現活動など、近代以前の人類が多様な形で社会参加していたように、私たちも新たな「生きがい」の形を模索する必要がある。

この変化を恐れるのではなく、人間らしい充実感や喜びをどこで獲得するか、という問いとして前向きに考えていくべきだろう。

人間に残されるのは情熱と偏りだけ

ここまで述べてきたように、AIの進化によって、システマティックな知識による問題解決だけでなく、感情理解や共感を必要とする領域までもが代替されていく可能性が高い。そうなると、人間にとって本当に残されるものは何だろうか。

結論から言えば、それは「偶然の導きによる発見」と「個人的な情熱から生まれる偏った価値観」だけではないだろうか。

AIはデータに基づく最適化と効率化を極めていくが、そこには常に「目的関数」が存在する。つまり、何らかの「正解」や「評価基準」が前提となっているのだ。しかし人間の場合、自分自身でさえ明確に説明できない偶然の出会いや、理屈抜きの好みに導かれることがある。「なぜそれを選んだのか説明できない」という曖昧な選択こそが、実は人間らしさの核心かもしれない。

例えば、ある画家が特定の色彩に執着する理由は、幼少期の体験や個人的な美意識から来るもので、必ずしも普遍的な美の基準に合致するわけではない。モネが光にこだわったのは、別にそれが普遍的な美の基準に沿った考え方だからではないはずだ。

しかし、その「偏り」こそが独自の芸術性を生み出す。同様に、科学者が直感的に選んだ研究テーマが、誰も予想しなかった発見につながることもある。

AIは膨大なデータから「平均的に良いもの」や「多くの人が評価するもの」を見つけ出すことができる。しかし、「誰にも評価されていないが、私だけは価値を感じる」というような極めて個人的で偏った視点は、データの少ない領域では再現しにくい。

重要なのは、こうした人間の「偏り」や「非合理」が、単なる欠点ではなく、むしろ新たな価値を生み出す源泉になり得るということだ。AIが合理的な最適解を提案する世界において、あえて非合理的な選択をし、個人の情熱に突き動かされて進む道こそが、人間にしかできない生き方になるのではないだろうか。

冒頭で述べた「情熱を持って時間とリソースを何かに注ぎ込んでいる人は、AI で世の中がどう変わろうと、必ず誰かがそれに共感してくれて、楽しく生きていけるだろう」という結論も、この文脈で理解できる。それは単に「情熱ある仕事をしていれば食べていける」という意味ではなく、個人の内面から湧き上がる情熱とそれに基づく偏った価値観こそが、AIが代替できない人間固有の領域であり、そこに他者との共感や連帯が生まれる可能性があるということなのだ。

これは現在の資本主義社会における金銭的成功や社会的地位の獲得という枠組みを超えた、より本質的な生き方の指針である。AIの発展によって生産と分配の構造が根本から変わり、従来の「雇用」や「賃金労働」の概念が薄れていくポスト資本主義的な時代においても、情熱を持って何かに打ち込む人間は、その活動自体が持つ真正さと固有性によって、必ず共感の輪を形成できるはずだ。

例えば、希少な手工芸技術を継承する職人、独自の哲学を持って農業に取り組む生産者、特定のコミュニティのためにボランティア活動を続ける人、あるいは単に自分が心から愛する創作活動に没頭する人など——こうした人々は、たとえその活動が従来の経済的価値基準では「非効率」や「非合理」と見なされても、その情熱と真剣さが他者の心を動かし、新たな価値の交換と人間関係を生み出していく。AIが支配する効率性と最適化の世界において、あえて「効率的でない」選択をする勇気こそが、逆説的に人間の幸福につながる道なのかもしれない。

まとめ

本稿では、AIの進化が人間の仕事や存在意義にもたらす根本的な変化について考察してきた。AIは単に定型的な業務だけでなく、感情理解や共感を必要とする「感情労働」までも代替する可能性が高い。これは単なる技術的な問題ではなく、人間の存在意義に関わる哲学的な問いを私たちに投げかけている。

要点は次のとおりである。

  1. AIの能力拡大: 現在のAIはすでに多くの専門的業務を代替し始めており、将来的には感情理解や共感といった人間特有と思われていた能力も獲得する可能性が高い
  2. 仕事の再定義: 「人間にしかできない仕事」という概念自体が消滅する可能性があり、私たちは「仕事」以外の形で自己実現や社会貢献を模索する必要がある
  3. 人間性の本質: AIが代替できない人間固有の価値は、データに基づく最適化ではなく、個人的な情熱や偏った価値観から生まれる独自性にある
  4. 新しい生き方: 効率や合理性を超えた、情熱に基づく活動こそが、AIが支配する世界において人間が真の充実感を得る道となるだろう

AIの発展は避けられない現実だが、それは必ずしも悲観的な未来を意味するわけではない。むしろ、効率や生産性という近代的価値観から解放され、より本質的な「人間らしさ」を追求する機会とも言える。情熱を持って自分だけの道を歩む勇気こそが、AI時代における人間の新たな存在意義となるのではないだろうか。