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2025-11-16
#雑記

なぜ私たちは「間に人」を置きたがるのか

異なる立場や価値観を持つ者同士が直接向き合うとき、そこには摩擦や衝突が生まれる。

そのリスクを避けるため、私たちはしばしば両者の間に「緩衝材」となる誰かを置く。翻訳者であり、調整役でもあるその存在は、コミュニケーションを円滑にし、短期的な安定をもたらしてくれる。

その安定と引き換えに、私たちは何を失っているのだろうか。

この一見合理的な選択が、いかにして組織や社会から活力を奪い、長期的な停滞を招くのか。今日は、ビジネス、政治、そして歴史の事例から、この「コミュニケーションの緩衝材」がもたらす功罪について考察する。

ビジネスにおける翻訳の罠

多くの企業では、ユーザーと企画・開発部門の間に、営業、カスタマーサポート、マーケティングといった部署が存在する。彼らはユーザーの生の声を社内に届け、製品の意図をユーザーに伝える重要な役割を担う。まさに、両者を繋ぐ「緩衝材」だ。

この構造は、日々の業務をスムーズに進める上で不可欠に見える。しかし、副作用も大きい。ユーザーの切実な不満や鋭い指摘は、翻訳される過程で「丸められ」、当たり障りのないフィードバックに姿を変える。逆に、企画部門が込めた製品へのビジョンや思想は希釈され、単なる機能説明として伝わってしまう。

結果として、双方が「何となく通じた気になっている」だけで、本質的な理解には至らない。企業はなぜこの構造を選ぶのか。それは、直接的な摩擦が少なく、責任の所在を曖昧にできるからだ。短期的には安全なこの選択が、長期的にはユーザーとの距離を広げ、市場からの感覚を鈍らせていく。

政治における調整という名の先送り

この構図は、政治家と官僚の関係にも見られる。理想を掲げる政治家と、現実的な実務を担う官僚。両者の間には、しばしば「調整役」となる人物や組織(中間レイヤー)が介在する。彼らは、政治的な要求と行政的な制約を巧みに調整し、物事を「うまく」収めることで、行政機能の安定を保っている。

しかし、この潤滑油は、同時に制度の腐食防止剤でありながら、問題の根本解決を先送りにする装置でもある。表面的な安定が保たれる裏で、理想も現実も更新されることなく、制度全体が静かに老朽化していく。

そして、溜まりに溜まった歪みが限界に達したとき、初めてその「調整役」がどれほど多くの不整合を抱え込み、問題を隠蔽してきたかが見える。彼らは秩序の維持に貢献してきた功労者であると同時に、変革を阻んできた張本人でもあるのだ。

歴史が示す秩序の番人の末路

秩序を守るために尽力した人々が、新しい時代の到来によってその役割を終え、時には排除される。この皮肉な現実は、歴史の転換点で繰り返されてきた。

例えば、幕末の幕臣たちや、太平洋戦争後の官僚・軍人。彼らの多くは、それぞれの立場で国家の秩序を守ろうと行動していた。しかし、その「守る」という行為自体が、新しい時代の枠組みが生まれることを妨げる足枷となった。

彼らが歴史の舞台から退場させられたのは、個人の善悪の問題ではない。古い構造を維持する役割を担っていたがゆえに、新しい構造へと移行するための「代謝」として必要とされたのだ。それは痛みを伴うが、新しい時代が始まるための産みの苦しみとも言える。

安定という名の停滞から抜け出すために

僕たちは、摩擦を恐れるあまり、無意識のうちに「緩衝材」を求め、直接的な対話を避けてはいる。

間に人を置くという選択は、短期的な安定と引き換えに、本質的な理解を遠ざけ、問題の解決を先送りにする。それは、長期的な成長の機会を捨て、緩やかな衰退を受け入れる行為に他ならない。

安定という名の停滞から抜け出すために、僕たちはときに、痛みを伴う直接的で率直な対話に踏み込まなければならないのだ。