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2026-01-31
#雑記

点で決める人、幅で渡す人


仕事ができる人と一緒に働くと、不思議と窮屈さを感じない。

こちらの裁量を奪われている感覚がないのに、かといって丸投げされているわけでもない。「ここからここまでは私が責任を持つ。この範囲はあなたが一番うまく決められるはずだから、任せる」。そういう線の引き方をしてくる。

逆に、一緒に働いていて息苦しい人もいる。こちらの領域にまで踏み込んできて、細部を「こうしてくれ」と指定してくる。あるいは反対に、何も決めずに「いい感じにやっておいて」と投げてくる。どちらも、こちらの仕事を成立させてくれない。

この違いは何なのかずっと言語化できずにいたが、最近ようやくひとつの補助線が引けた気がする。

プロフェッショナルは、制約条件を「幅」で提示する。

自分の領域において、どこからどこまでなら許容できるかを伝える。相手の仕事に対して、点ではなく幅で自由度の「範囲」を渡す。

そしてこの「幅で渡す」という振る舞いは、AI時代において決定的に重要な意味を持つようになる。というのが、この記事で書きたいことだ。


点で決めることの何が問題なのか

「幅」の反対は「点」だ。

点で決める人は、相手が責任を持って判断すると決めた領域に対しても「これでやってくれ」と一点を指定してくる。選択肢を残さない。考える余地を与えない。ここでいう「領域」とは、能力やスキルの話ではない。どの範囲の判断に責任を負う意思があるか、という話だ。

一見すると、これは決断力のある振る舞いに見える。迷わず決める人。リーダーシップがある人。そう評価されることもあるだろう。

しかし実態は違う。点で決めるというのは、幅を考えるコストを払っていないということだ。

本当は選択肢がある。本当は相手の方がうまくやれる方法がある。それを無視して点で指定するのは、自分が楽になるために相手の思考する余地を奪い、それでいて責任だけは相手に押し付けているということだ。

厄介なのは、その結果うまくいかなかったときに責任を取らないこと。相手に自由度を残しておけば、同じ目的を達成するにしても、もっとうまくいく方法を選べたかもしれない。その可能性を潰しておきながら、うまくいかなければ「そんな指示はしていない」と開き直る。自分が点で決めたことすら認めない。

これはプロフェッショナルから最も遠い振る舞いだと思う。


自由度∞も、自由度0も、同じ罪

ここで整理しておきたいのは、自由度を「与えすぎる」のもまた問題だということ。

自由度0は「侵食」だ。相手の領域を奪っている。 自由度∞は「丸投げ」だ。自分の責任を放棄している。

どちらも、相手の仕事を成立させないという点で同罪なのだ。

「何でもいいよ」「任せるよ」と言われると、一見すると信頼されているように感じる。しかしそれは多くの場合、信頼ではなく無関心だ。あるいは、自分の制約条件を言語化するコストを払いたくないだけだ。

何ができて何ができないかを示さないまま「自由にやって」と言われても、相手は動けない。後から「そうじゃない」と言われるリスクを常に抱えながら仕事をすることになる。

プロフェッショナル同士の協働とは、お互いが自分の制約条件を幅で提示し合うことだ。「私はここからここまでなら受け入れられる」「この範囲ならあなたの判断に任せる」。その幅が重なるところで、最適解を一緒に探す。


AI時代に「幅で渡す」が決定的になる理由

ここからが本題だ。

AIがほとんどの人間の能力を超えてきたとき、何が起きるか。

「何ができるか」は、もはや人間の価値を決めなくなる。コードを書く、文章を書く、分析をする、デザインをする。これらの「能力」は、AIが人間を凌駕していく。すでにそうなりつつある領域も多い。

そのとき、人間に残るのは「どう在るか」だけだ。

どのような専門性を持つ者として振る舞うか。どの役割を引き受けるか。これは能力の問題ではなく態度の選択だ。

そして「幅で提示して、徐々に不確実性を減らす」というアプローチが、ここで決定的に重要になる。

AIは点を最適化することが得意だ。明確な目標、明確な制約条件、明確な評価基準があれば、AIは人間より速く、正確に、最適解を出せる。

しかし、次のことをAIに任せることはできない。

  • どの幅を許容するか決める
  • どこまでを未確定として残すか決める
  • どのタイミングで幅を絞るか決める

たとえば予定調整という日常的な話で考えてみる。カレンダーを見て「来週のここからここなら空いています」と判断すること自体は、AIにもできる。能力の問題ではない。

しかし、その幅をどう相手に渡すかは、意思の問題だ。

広い幅を提示すれば、相手の都合を優先する姿勢を示すことになる。狭い幅しか提示しなければ、この予定はそこまで重要ではないと伝えていることになる。どのような幅で渡すかは、相手との関係性や、その仕事への姿勢を表明する行為だ。

これは能力ではなく、在り方の問題だ。そしてその判断には、誰かが責任を持ち、結果を引き受けるという人格的な重みが伴う。私たちはAIの出力にそういう重みを感じることができない。だから、今のところは人間が担うしかない。


「決める人」から「決まり方を設計する人」へ

これからの人間の専門性とは、「不確実性を管理する専門家」なのかもしれない。

決める人ではなく、決まり方を設計する人。

どこに幅を持たせて、どこを固定するか。どの順番で不確実性を減らしていくか。誰にどの領域の判断を委ねるか。AIにはどこを任せて、人間はどこを握るか。

この設計そのものが、人間の仕事になる。

考えてみれば、プロフェッショナル同士が「幅で提示し合う」ことの本質も同じだ。お互いの不確実性を、対話を通じて徐々に減らしていく。一発で正解を出すのではなく、プロセスとして不確実性を管理する。

AIとの協働も、人間同士の協働も、構造は同じなのだ。


点と幅

点で決める人は、相手の専門性を信頼していない。 幅で渡す人は、相手の最適化能力を信頼している。

自由度0は侵食であり、自由度∞は丸投げ。どちらも相手の仕事を成立させない。

そして、AI時代において「幅で提示し、不確実性を徐々に減らす」というプロセスこそが、人間に残される本質的な役割になる。

能力ではなく在り方。結論ではなくプロセス。点ではなく幅。

プロフェッショナルとは何かを考えることは、AI時代に人間がどう在るべきかを考えることと、同じ問いに行き着く。